
沿革
第二次世界大戦により会社焼失
大正15年(1926年)、当時最も進んだめっき技術を誇っていたアメリカのH.V.Wマンニング社は、その技術、製品を日本で販売する目的を以って神戸にその子会社A.Pマンニング.エンド.カンパニーを設立し、揺籃時代の我国めっき業界の育成に尽くしましたが、第二次世界大戦により会社は完全に焼失しました。
日本で最初の全自動めっき装置
H.V.Wマンニング社は戦後の荒廃した日本へ再進出する意向をもたなかったのに対し、日本の業界ではその技術、製品の使用を強く望んでいた事もあり、A.Pマンニング時代総支配人を努めていた村田成雄がH.V.Wマンニング社との合意のもとに新たに日本資本の法人を設立し、アメリカ製品の輸入、後にはその国産化を行って参りました。その間日本で初めてのニッケル光沢剤の開発生産、且つまた、日本での第一号全自動めっき装置の製造を行う等、業界の発展に大いに寄与して参りました。
ハーショウ村田株式会社設立
その後種々の変遷を経て村田化学株式会社は昭和47年(1972年)、その当時装飾めっき業界で世界的に著名であったアメリカのハーショウケミカル社の日本進出の意向を受け、同社の日本に於ける代理店森村商事株式会社との三社による合弁会社として、弊社の前身ハーショウ村田株式会社が設立され、同年8月1日に発足しました。
各種添加剤の輸入販売
ハーショウ村田株式会社は、設立と同時に村田化学株式会社のめっき関係業務の一切を引き継ぎ、従業員も大半が移籍し、従来の村田化学株式会社のめっき関係製品全般も、そのまま製造販売する上に、ハーショウめっき関係技術の導入紹介、その各種添加剤の輸入販売、日本の実情に合わせての改良国産化も進めて参りました。
社名を株式会社ムラタに変更
しかし、日本の業界における需要傾向は、徐々に装飾用めっきから機能めっきに推移してきており、電子機器類への機能めっきについては日本の方に一日の長があり、益々減少する装飾めっき需要とあいまって、アメリカとの合弁事業の実が認め難くなって来たこと、及びハーショウケミカル社の親会社の再々の変更等による方針の変化から、平成2年(1990年)に至ってハーショウケミカル社はハーショウ村田株式会社から撤退する事を希望し、同年8月31日全額日本資本となり、それに従って平成3年(1991年)3月1日より社名を株式会社ムラタに変更いたしました。
阪神大震災による被災
平成7年(1995年)1月17日の阪神淡路大震災では本社の薬品、研磨材の二工場が倒壊に等しく使用不可能となり、事務所棟、研究室棟も大破する等、ほとんどの建屋が被害を受け、在庫品にも大打撃を蒙りましたが、幸いにも出火を免れましたので、建物内部の設備、機器類の多くの再使用が叶いました上、社員全員の家族を含め、人的被害をほとんど受けずにすみましたお陰で、その後混乱の中ではありましたが、受注分全量の完全消化、続いての新社屋建設等が順調に進み、同年11月には新社屋に於いての技術開発、生産活動、事務処理を始めることが可能となりました。
現在
地球温暖化の問題提起とともに地球環境保全の要求が年々高まっています。この問題に対し、ムラタは表面処理業界への環境対応技術の提供に積極的に取り組んでいます。六価クロム対応としては、いち早く1998年よりドイツSurTec社の六価クロムフリー亜鉛用防錆剤「SurTec 680」やアルミ防錆剤「SurTec 650」の国内導入展開を図りました。また、自社技術においては「ゼロエミッション型無電解ニッケルめっき液リサイクル装置」や「クロムフリー化成処理剤」、「RCSシリーズ脱脂剤」など環境を考慮した次世代の技術の開発展開を図っています。今後とも表面処理業界における環境対応技術の提供を通じ、いささかなりとも業界の進歩、発展に寄与できることを念願し、努力を続けてまいります。